<Unused Ideas> / 第6話 ’26 顕彰馬選出・オジュウチョウサン
▼飛聖▼
最終的に、ロゴケイバではこのコピーを採用した。
まずオジュウチョウサンを表現するにあたり、“史上最強の障害馬なのかを議論することさえ、もはや失礼。”
この心構えを持たなければならない。
そういうレベルの馬だ。
その特異性を、どこまで表現できるのか。
既存の言葉には、限りがあるにも関わらずだ。
そこが、今回のコピー開発における大きなテーマだった。
▼史上最強ほど、軽い言葉はない▼
最初に浮かんだのは、直球の言葉だった。
絶対王者、史上最強…。
オジュウチョウサンを形容するにあたり、ありふれた言葉たちである。
だから、これらは間違いなくボツだ。
もちろん、誰もが知る評価を、あえて正面から掲げる表現手法もある。
しかし、ロゴケイバのようなインディペンデントな存在が、そのまま史上最強と宣言して、何か意味があるだろうか?
何か奥行きのある見方を、提示できると言い切れるだろうか?
それは、もっと王道のメディアが、然るべき媒体や舞台で掲げるべき言葉に思える。
加えて、絶対王者と呼ばれる者は、ほかにもいる。
もっと言えば、オジュウチョウサンほどの実績を残していなくても、一つのシーズンを圧倒すれば、そう呼ばれることはある。
けれど、オジュウチョウサンは、シーズン単位の王者ではない。
5年間にわたって、障害競走の頂点に立ち続けた。
この事実は非常に重い。
だからこそ、既知の評価を繰り返すのではなく、その評価がなぜ揺るがないのか。
そこまで言葉を進める必要があった。
▼競馬に絶対はない。それでも…?▼
発想の突破口になったのは、競馬で繰り返し語られる格言だった。
「競馬に絶対はない」である。
どれほど強い馬でも、負ける時は負ける。
展開や馬場、状態によって、結果は予想もしていない方向へと向かう。
馬券購入者なら痛いほど分かる、競馬の真理だと思う。
では、問いを変える。
日本競馬史上、最強の障害馬は誰か。
回答は、満票でオジュウチョウサンだろう。
例えば、 史上最高の野球選手は?との問いに対して、大谷翔平。
それほど絶対的な位置にいるのが、オジュウチョウサンだ。
もはや解釈の余地もない。
仮に別の候補が挙がったとしても、それは重箱の隅をつくような異論か、個人の願望や好みを投影した主張にすぎず、客観的な評価とは言い難い。
つまり、競馬の勝敗に絶対はなくても、オジュウチョウサンへの評価には、絶対が存在するということだ。
これを、史上最強という言葉を使わずに表現すると、決めた。
そこでまずは本文を、「競馬に絶対は無いと、云う。」と切り出し、最後を、「答えは、1つだけだ。絶対に。」で結んだ。
同じ「絶対」という言葉であるが、入口と出口で役割を反転させている。
ここまで、キャッチコピーではなく本文の話ばかりしている。
しかし、この本文の構造こそが、最終的に「飛聖」という言葉を生んだ。
なので、もう少し続けたい。
▼議論さえ、飛び越えた▼
オジュウチョウサンが超えたものは、記録だけではない。
障害競走という枠そのものを超えた。
競馬ファンの関心を、一般的なファン層から順に並べるとこうなる。
Lv1_有馬記念や日本ダービーなら、見る。
Lv2_有名な馬が出るレースなら、見る。
Lv3_G1を全部見る。
Lv4_G1以外の重賞も見る。
Lv5_新馬戦や条件戦まで見る。
Lv6_全場、全レースを見る。
大まかには、こうやってコアなファンとなっていく。
しかし、かなり深く競馬を見ている人でさえ、障害競走まで日常的に追っているとは限らない。
競馬の人気は、圧倒的に平地競走にあるからだ。
けれど、オジュウチョウサンは、その壁を越えた。
有馬記念への参戦が発表されただけで、大きなニュースになる。
障害競走を普段見ない人にも、その名を知られている。
障害馬として異例の認知を獲得し、競技の枠を越えて、スターになった。
オジュウチョウサンは、議論そのものを飛び越えているのだ。
だから本文では、
「記録を超えて。
自分自身も、超え続け。
議論の余地さえ、飛越して。」
と、超える対象を段階的に広げた。
▼語れるほど、名づけられない▼
内容が固まっていく中で、最後まで決まらなかったのが、キャッチコピーだった。
オジュウチョウサンは、上述の通り、語れることがあまりにも多い。
本文の材料には、全く困らない。
しかし、それらを一つに束ねる言葉となると、既存の日本語ではどうしても足りなかった。
「絶対王者」のニュアンスを含んだ言葉では、一時代の王に収まってしまう。
「史上最強」のニュアンスを含んだ言葉では、すでに共有されている評価を繰り返すだけになる。
オジュウチョウサン固有の特異性まで、言葉が届かない。
そもそも、これほどの存在を一語で受け止められる言葉が、日本語には用意されていない。
ならば、彼のためだけの称号を作るべきだと判断した。
障害競走を象徴する「飛」。
長い時間を経て、人々から尊ばれる存在を表す「聖」。
二つを重ねて、「飛聖」とした。
もちろん、この造語を生み出す過程では、AIを使っている。
ただし使い方は、巨大な辞書に近い。
「障害競走を象徴する漢字を、100個出して」と依頼し、提示された候補の中から、使えそうな漢字を選抜する。
同じように、「長い時間を経て、人々から尊ばれる存在を表す漢字を100個出して」と依頼し、再び候補を絞り込む。
そうして残った漢字を組み合わせながら、日本語として違和感がなく、なおかつ称号としての重厚感を持つ響きを探していった。
この回でAIに任せたのは、造語を作り出すことを目的とした、語彙の母集団をつくることだった。
候補となる言葉を大量に集めた上で、人間がその中から選び、組み合わせ、意味と響きを判断する。
この工程を経て、最終的に生み出されたのが「飛聖」だった。
▼造語でしか、名づけられない▼
造語は、珍しい言葉を作れば成立するものではない。
本文を読み終えた時、その言葉は、この対象以外には使えない。
そう感じられることが必要だ。
記録を超え、自分を超え、議論を飛び越え、時代を超えて殿堂へ入る。
その歩みをすべて受け止められる言葉として、「飛聖」を採用した。
必要だったのは、誰もが知っている答えを、初めて聞く言葉によって、強く再確認することだった。
競馬に絶対はない。
それでも、史上最強の障害馬を問われた時だけは、揺るぎない答えが存在している。
だから、その名は「飛聖」なのである。
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