<Unused Ideas> 第3話 '26 天皇賞(春)・クロワデュノール
▼無傷では、守れないものがある▼
最終的に、ロゴケイバではこのコピーを採用した。
26年天皇賞(春)・クロワデュノール。
現在の競馬のトレンドで言えば、スキップする戦略も成立するレースだ。
距離適性を考えれば、なおさらである。
それでも、王者として出走し、勝った。
たとえ鼻差でも、勝ち切る凄みがあった。
けれど、ロゴケイバが言葉にしたかったのは、“王者としての気概を携えながら、王座を守ることの難しさ“だった。
▼最初は、直球▼
まず浮かんだのは、かなり直球のコピーだった。
「王座は、譲らない」
今年の主役であり続けるため、距離への不安を抱えながらも、長距離戦に挑んだ。
最後の最後まで迫られながら、それでも勝ち切った。
だから、このコピーでも間違いではないが、まるで王者が堂々と相手を跳ね返す姿のようだと感じた。
何も傷ついていない言葉なのだ。
伝えたかったのでは、未知の距離でも挑んだこと。
薄氷を踏むような展開であったこと。
それでも、王座を守ったこと。
言い換えれば、王座だけではなく、王者の誇りを守った勝利だということだ。
だから、この案は捨てた。
▼傷のある言葉を探せ、作れ▼
AIとアイデアのラリーを重ねる中で、突破口になりそうなコピーが、候補に上がった。
「王座は、敗北を知っている」
これは、クロワデュノールの経緯には合致していた。
2歳時は無敗。しかし、その後に敗北を知った。
立て直して、今年の主役へ戻ってきた。
ただし、天皇賞(春)のコピーとして見ると、少し過去に寄りすぎているようにも読める。
王座には、大阪杯ですでに戻ってきているのだから。
今回必要だったのは、“敗北を知ったことではなく、取り戻した王座を、どのように守ったのか?“という問いに、答える言葉だ。
そこまで、言葉を進める必要があった。
▼表現の核は、「代償」だ▼
そうして閃いたのが、「王座は、無傷では守れない」だった。
これは、採用案の原型となった。
王座とは、きれいに座っているだけの場所ではない。
王者の誇りのためなら、不利な条件でも走る。
迫ってくる者を、受けて立つ。
傷を負う覚悟も、携えている。
つまり、守ることには代償があると、腹で理解している。
皮肉にも、王者としての誇りを高く持てば持つほど、その代償は増えていく。
ここに、今回の表現の核があると感じた。
▼余白で語る▼
そこから、説明的な要素を削り、一度はここまで言葉を絞った。
「無傷では、守れない」
強く、圧縮された言葉になった。
しかし、繰り返すが、クロワデュノールが守ったものは、単なる勝利だけではない。
王座、そして今年の主役であり続けること。
春の盾を勝ち切る馬としての、矜持。
それらを、両方とも感じさせたかった。
だから、解釈の余地として、「ものがある」を最後に足した。
「無傷では、守れないものがある」
王座とは言わない。
主役を防衛とも言わない。
それは本文で語ればいい。
辛勝を、弱さとして見るのではなく、それでも守るべきものがあったのだと捉える。
その見方に辿り着いた時、今回のコピーは決まった。
▼この回で、捨てたコピーは多い。▼
本文中でご紹介したコピー以外にも、無数のボツ案がある。
どれも、間違ってはいないからこそ、クロワデュノールの春の天皇賞でしか成立しない言葉はどれか。
そこを見極める必要があった。
そのためには、馬の経緯や、レースの意味を“その目で見ていること、感じていること”が鍵になる。
そして、それを基準にして、出てきた案をそのまま採用せず、削り・捨て・選び・加筆すること。
その判断こそが、ロゴケイバにおけるコピー開発の核心だと思っている。
つまり、無数にクリエイティブを生成するAIと上手く付き合いつつ、オリジナルであり続けるためには、“制作対象についてAIよりも夢中になっていないといけない”ということだ。
▼だから、ロゴケイバは即興でしか生まれない▼
ロゴケイバでは、事前に勝ち馬の当たりをつけて、クリエイティブを用意しているわけではない。
リアルタイムで制作しているG1シリーズにおいては、勝ち馬のデザインもコピーも、1レースたりとも事前に用意したことはない。
完全即興である。
仮に事前にクリエイティブを用意したとしても、その大半は徒労に終わる。
限られた時間の中で、そこにリソースを投下する余裕はない。
(※通算0000勝や年度代表馬のように、発表や達成のタイミングを待ち構えられるものは除く。)
そもそも、事前に勝ち馬を見抜ける目を私が持っているのであれば、馬券はもっと当たっているはずだ。
今年の天皇賞(春)で、クロワデュノールが12番人気のヴェルテンベルクにハナ差まで詰め寄られる展開を、レース前に想像できた人が、どれほどいただろうか。
「無傷では、守れないものがある」というコピーも、その見方をもとに書いた本文も、実際のレースを見終えたあとでなければ成立しないものだ。
決して、レース前には用意できないコピーである。
誰が勝つかだけでは、ロゴケイバは作れない。
誰と、どのように戦い、何を見せて勝ったのか。
そのすべてを見届けてから、初めて言葉を探し、デザインを作り始めている。
この姿勢こそが、制作対象について、AIよりも夢中でいるということだ。
AIは、人間の代わりに答えを出す存在ではない。
人間が見つけた意味を、さらに深く掘り下げるための相棒だ。
AIがあるからこそ、クリエイティブワークは、これまで以上にサボれない。
皮肉ではあるが、私はそう感じている。
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