<Unused Ideas> / 第8話 ’26 日本ダービー・ロブチェン
▼峰はひとつ、道は無数▼
最終的に、ロゴケイバではこのコピーを採用した。
26年日本ダービー、二冠を達成したロブチェン。
その本文で書いたのが、「己を試されるたびに、才能は“万能”へと、変わっていく。」という言葉だった。
そして、日本ダービー。
皐月賞では逃げて勝った馬が、今度は外枠から差して勝った。
ならば今回は、前走で “才能は万能へと、変わっていく。” と語った「万能」が、確信に変わったことを描こうと考えた。
▼最初は、また「黒」から始めた▼
描きたいテーマは上述の通りだが、皐月賞「黒曜石」の続編として考え始めた。
二冠達成のロゴケイバであるからだ。
その中で残った案のひとつが、「黒は、何色にも染まらない。」だった。
この一文だけなら悪くない。
前でも、後ろでも、内でも、外でも、どんな条件にも影響されない。
そんな万能性を、「黒」と結びつけようとした。
しかし、AIとのラリーを続けるうちに、致命的な違和感が生まれた。
だから、捨てた。
▼AIは、「それっぽい」出来栄えがうまいだけ▼
その違和感を説明しつつ、AIを使って文章を創作する上で、注意すべきことについてお話ししたい。
AIは、言葉と言葉を滑らかに繋ぐことができる。
「黒は、何色にも染まらない。」と書けば、「だから、自分の色を貫く。」「だから、どんな条件にも左右されない。」といった具合に、いくらでも続きを作れる。
読んだ瞬間には、それらしく見える。
しかし、よく考えてみると。
黒だから、前でも後ろでも強い。
黒だから、外枠を克服できる。
そんなわけはない。
文章としてはそれらしく繋がっていても、意味としては破綻しているのだ。
それなら、どれだけ格好よくても、ロゴケイバには必要ない。
今回のAIとの壁打ちでは、案を増やすこと以上に、意味の繋がっていない場所を見つけ、加筆修正することが重要だった。
▼「黒」そのものを捨てる▼
そこで、もう一度考えた。
今回、本当に描きたいのは、逃げても勝った。
差しても勝った。
極端に違う戦法でクラシック二冠を制した、その万能性である。
そんな二冠馬は記憶にない。
ならば、皐月賞の続編だからという理由だけで、「黒」を引きずる必要はない。
ここで、「黒」という発想そのものを捨てた。
フォーカスするべきは、ロブチェンの「万能性」だ。
▼「万能」を、もう一度定義する▼
すると、問いは変わる。
ロブチェンの文脈でいうところの、万能とは何なのか。
ごく少数ではあるが、これまでにも万能と称された馬はいる
(例:タケシバオー、アグネスデジタル、イクイノックスなど)
しかし、クラシック二冠を舞台にして、万能性を示した馬は、ロブチェンが史上初だ。
そこで残ったのが、「逃げて、一冠。差して、二冠。」
そして、「どこからでも、勝てること。どう運んでも、負ける姿が浮かばないこと。」という表現だった。
これらは、のちに本文で使用されることになる。
万能という言葉を装飾するのではなく、ロブチェンしか成し得ていない、二つのレースの万能性から意味を作る。
ここまで来て、ようやく表現の芯が決まった。
▼勝ち方を、登山道に置き換える▼
ここでお気づきの方もいるかもしれない。
この回は、珍しく本文から書き始め、コピーは最後に作った。
なぜそうしたのか、自分でも明確には説明できない。
ただ、限られた時間で完成させるには、この順番が最速だと感じた。
勝負勘に近い判断である。
さて、コピーでは、とどのつまり「勝ち方を選ばない」ということを言いたいのである。
しかし、それでは説明そのものだ。
そこで、「勝ち方」や「勝利」という言葉を使わず、同じ意味を表せないかと考えた。
すると、AIとの壁打ちラリーを続ける中で、「すべての道が、頂へ続く」「行き着く先は、ひとつ」など、少しずつ言葉が、競馬から離れていった。
それと同時に、ロブチェンという名前そのものに戻っていった。
なぜなら、ロブチェンの名の由来は、モンテネグロの山の名である。
ならば、逃げる / 差す。
前から行く / 後ろから行く。
それぞれを、頂上へ向かう「異なる登山道」として捉えられると閃いた。
つまり、登る道は違う。
しかし、辿り着く頂上は同じ。
そこで、「峰はひとつ、道は無数」が生まれた。
馬名の由来を使って、この馬の万能性を表現できたと感じた。
▼AI時代は、「なぜ?」の価値が高まる▼
このAIとの付き合い方は、これまでの7話とは全く異なるものだ。
今回は、文章の「因果関係」を疑ったからだ。
AIは、それらしい文章を作るのが、とても上手い。
しかし、なぜ、この言葉の次に、この言葉が来るのか。
なぜ、このモチーフが、この意味につながるのか。
なぜ、この馬だから、このコピーなのか。
そこまで問うと、成立していないものも出てくる。
「黒は、何色にも染まらない。」だって、言葉だけなら、格好いいのかもしれない。
でも、それを捨てたからこそ、「万能」という本当に描きたかったテーマが、クリアになった。
思考を止めずに、「万能」さえも疑い、掘り下げたからこそ、最後に「山」という馬名の由来へ戻ってこられた。
私はAI時代において、言葉を繋ぐこと自体の価値は、下がっていくと考えている。
必要なのは、意味も含めて、本当に繋がっているのかを疑うことだ。
まさに言葉を「紡ぐ」という状態に昇華できているかどうかが、鍵なのだと考えている。
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